玉の緒会ブログリレー・2

お弟子さんのブログリレー第2弾。

このたび記事のご指名をいただきました藤岡と申します。

2020年11月のワークショップイベント参加で初めて長唄と三味線に触れ、撥の代わりに「しゃもじ」を持たされても気が付かないレベルからスタートして「江戸長唄ごひいき衆」→2022年の今春から玉の緒会にステップアップをさせていただいたド新人です。

2020年開始早々、樹木から落下して骨を折るというトラブル(完全なる自業自得)に遭いつつ、それでもお稽古はじめてから1年半ほどが経過して、さすがに撥としゃもじが違う事は分かる用になりました。しかし「手が思うように動かない」「糸がまともに抑えられない」「譜面はろくに読めない」「そもそも曲が覚えられない」は変わらず。

「こんな私が玉の緒会に入って大丈夫ですか」とビビり倒して尋ねた私に、くに緒先生は「大丈夫、長唄は合奏だからちょっと失敗してもわからない!」とつよく頷いてくださいました。

…ん?「失敗してもわからない」??

それって、うまく弾けない前提?

弾けるようにならないといけないんじゃ??

実はこの時少し心の中で首をかしげながらも「ま、結局大丈夫って言ってもらったし、大丈夫だろ、おねがいしまーす!!」と先生のお言葉を心の支えに、玉の緒会への入会をさせていただいた次第です。

そして今、週に3回のお稽古の他、発表会に向けて諸先輩方との合同練習にも参加しています。

先日、合同練習の後は、どうしても一人で練習してもうまくできなかったところが、ほんの少しだけ弾けるようになっている事に気が付きました。

わたしは一人で練習していると、どうしても自分が音を出せない、うまく弾けないところで止まってしまって、結果として曲全体の流れがよくわからなくなります。

合同練習での合わせ稽古は自分がしくじったところがあっても曲はとどまることなく流れ流れて進んでいきます。

そんな先輩方の演奏の濁流を何とか泳ぎ切って「曲の最後」という対岸にたどり着こうとしているうち、全体がうっすらと分かるようになり、どうやらその結果わずかながらも前よりも弾けるようになっているようなのです。

つまり、「失敗してもわからない」から少し上達するようです…!!!

先生、のおっしゃっていたのはこう言う事でしょうか。

疑って、申し訳ありませんでした。

でも願わくば、いつの日か、濁流に流されるのではなく、流れを見きわめのりこなし、美しい演奏の一部分になれる日が来るようになりたいものであります。

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