受講生レポート❹

『どんな女も、30歳を超えると一度はお茶、お花、着付け、歌舞伎など「和」に興味を持つものだ』と、平成時代の名著『負け犬の遠吠え』に書いてありましたが、ご多聞に漏れず私もその一人でした。

三味線の音って素敵だな。でもどこで、どうやって習えるの?
誰も隠していないのに、なぜかベールに包まれている(ように外からは見える)邦楽の世界。そんな思いを心のどこかにずっと抱いていたのでしょう。この講座を知ったときの衝撃といったらありませんでした。
『3ヶ月で三味線できるかな?』という優しくライトなネーミングには、既存のイメージと初心者の心の垣根を取り払うに十分すぎる破壊力がありましたし、チラシで三味線を弾いている男女のイラストもごく普通の会社員風で「これなら私にも出来そう」感を煽ってきます。
あらかじめ稽古日やゴールが明確に記載されていたことや、サイレンサーを使えば現代の住居環境でも練習できる、といったヒントが書かれていたこともマンション住まいの私には大きな後押しとなりました。

迷うことなく申込を済ませ、初めて三味線のケースを開けた日の高揚感。三味線の糸が黄色いことも知らなかった私は「初心者用に見やすくしてあるのかな?」などと新1年生のランドセル的結論を勝手に導く始末。そんな初心者でも、先生のてきぱきとした分かりやすい指導と、親切な先輩方のフォローを受けながら撥の握り方から始め、安心して受講することができました。

とはいえ、合奏が始まればとたんに迷子になり、運が良ければ正しい糸に当たる(ことがある)程度のバクチ的な撥使い、無駄な力が入るせいで肩は重く、目は霞み(別問題)…。
「できるようになったものがこちらです」という3分クッキングのようなわけにはいきません。参加するだけでなく自分から努力しないと上達するわけがない、という至極当然のことを、齢50にして改めて噛み締めることになりました。『3ヶ月で三味線できますよ』ではなく『できるかな?』なのです。こんなところにも表題の深さを感じます。

「永遠に弾ける気がしない」とうなだれた冬の日々にも、必死で練習を続けるうちにヒヨコにはヒヨコなりの春が来て、受講生の仲間たちと一緒になんとか発表の日を迎えることができました。
歌舞伎座の客席から見るだけだった三味線を、完成度は別として曲がりなりにも3曲弾けるようになったのです。その達成感はもちろんのこと、結果に至るまでのプロセスそのものが清々しい喜びに満ちていました。
「無理に決まっている」と臆することなく初心者が挑戦できる、このような企画なくしては感じることのできなかった大きな喜びです。その機会を用意し、根気強く指導してくださった先生と、受講生が稽古に専念できるよう毎回準備してくださった先輩方への感謝の念に堪えません。

私は30年近く爪を長く伸ばしていました。爪が折れると心も折れるほど爪のおしゃれが好きだったのですが「3ヶ月くらい平気」と受講前に短く切った爪を講座終了後の今でも切り揃えています。新しい喜びを知り、いつの間にか長い爪は自分に不要なものとなっていたのです。

講座は終了しましたが、このまま長唄三味線を勉強していくことが自分に出来るのか、正直なところまだ分かりません。しかし現に、三味線が弾けないのは嫌だと自らの意思で爪を切っていることは間違いありません。
そして、体験用に用意された舞台ではなく、もっと長唄を聴きたいと考えて演奏会のチケットを自ら買ったり、歌舞伎に行ってもこれまで以上に三味線に目が行くようになったこと。

もしかしたら心の中に答えは出ているのかもしれません。
もっと三味線できるかな?と。

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